野球人生を左右する東北での経験
東北楽天ゴールデンイーグルス入団後、間もなく震災が発生。震災当日は兵庫県明石市でオープン戦に挑んでいました。チームメイトから地震発生の一報を受けて、東北の沿岸部に津波が迫る上空映像を、遠い兵庫県で見ていることしかできませんでした。
仙台に帰れたのはその1ヶ月後。その後は、地域のボランティアや支援活動で地域のためにチーム一丸となって奔走しました。
なんとか東北を支えたいと強く思う反面、プレーでは思うように力を発揮できず、無力感とふがいなさを痛感する時間を過ごしました。翌年には移籍を決意し、一度、東北を去ることになりました。
「より情熱的に」 福島レッドホープスとして再始動
2014年の年末、設立当時のゼネラルマネージャーの勧めで福島ホープスへの入団が決まりました。縁があり、あの時果たせなかった地域貢献を、また一から始めるきっかけをもらったと感じました。
2018年には、新会社を立ち上げて社長に就任し、球団名も現在の「福島レッドホープス」と改名しました。もしかしたら、そこで球団を去る決断もできたかもしれません。でも僕は福島県を見捨てることはできませんでした。
僕たちの理念は「ALL for FUKUSHIMA/すべては福島のために」。県内唯一のプロ野球チームとして、地域に寄り添い続けようと決めたんです。ファンをはじめ、選手やスタッフを乗せて出発した船。歯を食いしばり、波を乗り越えてきました。
最近その成果が徐々に現れてきたように感じます。新しいスポンサーも増えてきて、地域球団としての立ち位置も確立できてきたのではないかと思っています。
地域球団は広告塔 ふくしまをPRする営業マンとして
僕たちの役割は、野球を通して福島県の風評を払拭し、復興をサポートすることです。そのため、遠征先では県産の食材や酒、工芸品のPRにも積極的に取り組んでいます。
ここは恵まれた自然環境で、米も野菜も肉も魚もおいしい。そんな豊かな福島県の食材が風評を受けていることが悔しくてたまらないんです。この魅力や安全性をもっと知ってほしい。野球と風評払拭は一見関係ないように感じますが、僕たちが広告塔となって最前線でアピールしています。
誰しもが、おらが村の野球チームの監督
震災後、大好きな海を見られなくなったり、大切な原風景と離れて生活しなければならなくなった人がたくさんいます。当たり前のものが楽しみだったことに気付かされたつらい経験だと思います。だから僕たちはその楽しみを野球で補えればと思ってプレーしています。
野球観戦の良いところは誰しもが監督になれるところ。おのおのの野球論を披露するだけでもコミュニケーションが生まれる。それが自分たちの地域の球団だったら、もっと熱くなれるでしょう。そういう場を作ることも、野球ができる地域貢献かもしれません。
ふくしまが社会に伝えられること
ここまでALL for FUKUSHIMA を貫けるのは、福島県が震災で経験したことが、必ずこれからの社会に生かせると信じているからです。「未曽有の大災害」「世界初の複合災害」を悲しみだけで終わらせてはいけない。震災直後から、その使命感を忘れたことはありません。
ここで起きたことは、必ず未来の災害やまちづくりに生かせるモデルケースになる。その一つの歯車として、僕たちが球団を設けることで、野球を通して貢献できればと思い、日々挑戦を続けています。
県民として「全員野球」で前進する
震災から10年を迎えるにあたって、地域球団として地域の声に耳を傾ける必要があると思っています。どんな時間を過ごして、これからどうしていきたいのか。その中で僕たちができることは何か。改めて立ち位置を見直して、県民とともに考えていきたい。
例えば学校行事や運動会に選手が参加することで、子どもたちは喜んでくれますよね。それをきっかけに運動が好きになってくれるかもしれない。そうすれば震災後の子どもたちの肥満率の解消にもつながる。その小さなきっかけづくりにも僕たちは役に立てるのではないでしょうか。
僕は福島県を故郷だと思っています。県が抱える問題を共に解決していける「仲間」として、これからも成長していければと思っています。