震災直後の無力感、自分ができる応援のカタチ
震災翌日から福島県に行く決意をしましたが、現地で尽力される方々からは「東京でできることやってほしい」という声が返ってきました。
東京から何ができるか。ひとつは寄付を集めて福島県に届けること、そして、全国の人が福島県にエールを送る仕組みをつくることだと思いました。
そこで、2010年に結成した「猪苗代湖ズ」が、大勢の方が福島県に目を向けるためのひとつの目印となって、音楽で得た収益の全てを福島県に寄付することができればと考えました。震災後にリリースした「I love you & I need you ふくしま」が、他県を含め様々なバージョンで広がったことは、本当に心強かったです。ひとつの取り組みで全てをかなえる、全ての方にフィットする取り組みはありません。それでも、「ふくしまが好き」という気持ちは、離れていても福島にいても共通で持っていようというメッセージを込めました。
クリエイティブディレクターとして、ふくしまへ恩返し
この震災と原発事故において、立場の違いで人と人との間に多くの溝ができました。
当時、行政の人たちは必死に復興のために力と汗を重ね合っていた。そんな中、県民と行政の間にも溝があることは、無意味でもったいないと気付きました。当時、行政との関わりに抵抗のあった僕が、2015年に福島県のクリエイティブディレクターを引き受けることにした理由はそこにあります。
また、前例のない未曾有の災害をどう乗り越えていくかを考えた時、従来の行政のクリエイティブ話法では突破できないと思いました。言葉の使い方や発想を含めて、今ここに新しいクリエイティブが必要だと思ったのです。
同時に、広告の仕事をするなかで培ったスキルや人脈を、僕を育ててくれた故郷への恩返しに使えるタイミングだとも思いました。
内堀知事が「光と影」と表現するように、様々な状況、立場の人がいるからこそ、綺麗な包装紙をつくるだけでは説得力がない。そして、問題に対する答えはひとつじゃない。それは、福島県クリエイティブディレクターをはじめとする様々な活動の中で学んだとこのひとつでした。
「オーバークオリティ」で、つづける、ひろげる、つなぐ
2015年~2016年までは、野球で例えると1回表の守備。足場をつくって守っていくためのクリエイティブの時期だと考えていました。そして次のタイミングで「ここからは1回裏にしましょう」と、情報発信も前進していくことを決めました。
真面目に真摯に足場をつくるという時期から、ユニークだったりチャーミングだったり、なかなか遠慮して言えなかったことを、ズバッと言っていく。そういう意味で攻めに転じたのが、2017年でした。
それ以降、クリエイティブとしてパワーがあるようなつくりを意識して、TOKIOの「ふくしまプライド。」のCMや、「ふくしままっぷ」、動画「もっと知ってふくしま!」を発信。「来て」という1枚のポスターからは、県内各地の数種類のポスターが生まれました。「行政の発信としては面白い」ではなく、限られた予算の中で、世にあるすべての広告の中でのトップレベルのクオリティを目指す。その「オーバークオリティ」こそが、復興の推進力になります。あとはそれを、つづける、ひろげる、つなぐ。積み重ねることで生まれる効果が必ずあるからです。継続した情報発信、横に広がる連携の仕組みを生んで、最後はたくさんのものがそれぞれの持ち場で機能しながらも、福島県全体のブランディングになるような形を目指しています。
これからは、ひとりひとりがふくしま自慢の主人公
この10年で、県内の人々が想いを発信したり、自分や自分の家族や仲間の自慢をしたりすることが、以前よりもしっかりできるようになった気がしています。ただそれは変化ではなく、元来みんなの中にあったものを、表に出せるようになったということです。
県内59市町村をめぐるキャラバンで、福島県は人が名産品だと実感しました。そんな県民のあたたかさや熱意で、福島県がもっとおもしろく豊かになっていったら嬉しいです。
クリエイティブな感覚や、生き生きとキラキラした表情が、よりたくさんの人々に広がって、つながって、重なっていく場を増やしていきたいと強く思います。
これからは、ひとりひとりが発信者として、未来を形にしていくことが大事。でも、みんなで一緒に力を重ね合うことが大きなメッセージになります。「福島県はこんなに羨ましい場所なんだよ」と、全国や全世界の方に見てもらいたいですね。