豊かな風土に囲まれた「までい」ライフ
震災前からトルコギキョウやグラジオラスなどの花きや、ブロッコリーなどの野菜を栽培する農家でした。手をかければかけるほど美しく、おいしく育つ作物の成長が楽しくて、農家は天職だと思っています。丁寧で根気強いという意味の「までい」な農業で、畑と向き合い暮らしていました。
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[相双:飯舘村]
花き農家/いいたての花生産組合
飯舘村の避難指示解除後に「かすみ草生産組合」を発足。令和2年には新たに「いいたての花生産組合」を発足し、新規就農者の栽培支援を行っている。
「までい」な農業で
飯舘村のカスミソウを届ける
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災前からトルコギキョウやグラジオラスなどの花きや、ブロッコリーなどの野菜を栽培する農家でした。手をかければかけるほど美しく、おいしく育つ作物の成長が楽しくて、農家は天職だと思っています。丁寧で根気強いという意味の「までい」な農業で、畑と向き合い暮らしていました。
震災後は、避難先の福島市で農業を再開しました。5年が過ぎたころ、村の避難指示解除計画と帰村後の営農支援制度を聞き、生まれ育った飯舘村で大好きな農業ができると喜ぶ一方で、風評や土地の栄養不足が心配でした。そんな時、妻が「やってみなきゃわからない!」と背中を押してくれたんです。その一声で村での営農再開を決心しました。
今では飯舘村のイメージにもなっているカスミソウ栽培ですが、震災後に村が避難中の農家に呼び掛けて取り組みはじめたものでした。カスミソウは通年で需要が高く、また産地による風評を受けにくい。もともと花き栽培のノウハウのある飯舘村再生の希望を込めた策でした。
村の避難指示が解除された平成29年に、仲間を誘って「かすみ草生産組合」を立ち上げ、8月には震災後初の出荷を果たしました。カスミソウは「いいたての花」と書いた特注の段ボールに詰めて出荷。配送トラックを見送った時はホッとしましたね。
村の名前を出すことが、私たち生産者のプライド。これからの花づくりを通して村の復興を後押ししたいです。