避難所から仮設住宅、近所の人とともに
私たち家族が住んでいた新地町釣師浜は、津波で全てを流されました。地域の人たちは同じ避難所に入り、翌年には仮設住宅も全員同じ場所に入居することができました。孤独死を防ぐため、何かできないかと考え、みんなで編み物をすることを思いつきました。
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[相双:新地町]
うみみどり 代表
町内で経営していた旅館「朝日館」は津波により全壊。震災後は仮設住宅に住む町民を中心に手芸教室を展開するほか、震災の語り部としても活動。
津波に遭っても芽吹く
「うみみどり」のように
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
私たち家族が住んでいた新地町釣師浜は、津波で全てを流されました。地域の人たちは同じ避難所に入り、翌年には仮設住宅も全員同じ場所に入居することができました。孤独死を防ぐため、何かできないかと考え、みんなで編み物をすることを思いつきました。
編み物に必要な毛糸や編み棒は支援でいただきました。カタチにし、SNSを通じて販売しました。日本だけではなく海外からも応援をいただき本当にありがたかったです。
平成28年3月、全員が仮設住宅を出た時点で活動は終了しました。みんなで喜びを分かち合い達成感と一体感に包まれました。
編み物以外の活動をしたいと集まったのが手芸サークル「うみみどり」です。被災した新地町の埒浜に、津波を受けても咲いていた絶滅危惧種の花から名付けました。「支援」ではなく「すてきだからほしい!」と買ってもらえるように、伝統工芸品である会津木綿や日本手ぬぐいを使って、クオリティーの高い手芸品をつくるようにしています。
復興公共住宅での地域交流会も開催してきました。仮設住宅と違い、新しい都市型の住宅では、近所付き合いがほぼ無かったからです。4年間続けて、最終的には5~60人集まるようになり、地域とのつながりも広がりました。
いまだに応援してくださっている人がいる一方、思い出したくない、忘れようとしている人たちもいます。特に、家族を亡くした経験は大きいです。家族を失う苦しみは、私も経験があるのでよく分かります。今後も地域とのつながりを通して、少しでも心が楽になってもらえたらと思っています。