川内村が私の日常に
平成24年に初めて川内村に来た後、一度村を離れ、平成30年に戻りました。村は私の日常そのものです。花屋としての夢をかなえる場所であり、一緒に生きていく人たちがいる場所。だから皆さんに、誰よりも村で楽しんでいる私の姿を見てほしいです。これからもずっと川内村で生きていきます。もうどこにも行くつもりはありません。
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[相双:川内村]
fuku farming flowers
震災後に川内村を訪れ、「美しい田園風景を取り戻したい」と、翌年単身川内村へ移住。ドイツでの花屋の修行を経て、川内村へ戻り花屋を経営。
川内村で生きていく
ここでかなえる夢の続き
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
平成24年に初めて川内村に来た後、一度村を離れ、平成30年に戻りました。村は私の日常そのものです。花屋としての夢をかなえる場所であり、一緒に生きていく人たちがいる場所。だから皆さんに、誰よりも村で楽しんでいる私の姿を見てほしいです。これからもずっと川内村で生きていきます。もうどこにも行くつもりはありません。
私が村ではじめる花屋は、同世代の村の女性たちが特技を生かし、適材適所で輝ける場所にしたいと思っています。お母さんたちが楽しく働いているのは、子どもたちにとっては希望。私も初めて村に来たとき、村のお母さんたちが元気だったことが希望でした。
今の川内村には若い人が働ける場所がなくて、みんな外に出てしまうのがもったいない。川内村でも働ける場所がある、いつか戻って来たいと思ってもらえたらいいなと思っています。
震災の翌年に初めて村に来たときは、「田園風景を取り戻したい」と、頭を川内村のことだけでいっぱいにして、農業ボランティアやイベントを主催していました。花屋はこの先でもできるけど被災地支援は今しかできないという思いでした。でも私1人でできることに限界を感じ、志半ばで村を去ることになってしまった後悔があるので、いつかは農業でも報いたいと思っています。
最近では福島産の花を取り扱ったり、ガーデンデザインも勉強しています。川内村に行きたいと思えるコンテンツと、日常的にファミリーが集える場所を、みんなでつくっていきたい。自分の船にクルーを乗せて出港していく気分です。「ふくちゃんが楽しそうだから」といって集まってくれる大好きな村の人たちと、村を見届けたいですね。