営業再開までの道のり
震災が発生してからも、3月14日までは旅館にとどまっていました。小高区は原発事故で避難指示区域になり、その後、福島市、息子のいる名古屋市、原町区と移動し、小高区に戻ってくるまでに6回は移動を繰り返しました。平成25年に津波の被害を受けた旅館の工事をはじめて、完成したのが平成27年。再開の準備が整うまでに約2年掛かってしまいました。
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[相双:南相馬市]
双葉屋旅館 女将
震災後、小高区で営業する唯一の旅館として平成28年に双葉屋旅館を再開。ショップ「希来」のオーナー、小高商工会女性部部長も務める。
若い人を受け入れ
「楽しい町」小高をつくる
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災が発生してからも、3月14日までは旅館にとどまっていました。小高区は原発事故で避難指示区域になり、その後、福島市、息子のいる名古屋市、原町区と移動し、小高区に戻ってくるまでに6回は移動を繰り返しました。平成25年に津波の被害を受けた旅館の工事をはじめて、完成したのが平成27年。再開の準備が整うまでに約2年掛かってしまいました。
世界初の複合災害を経験し、さまざまな問題が発生しました。そんなこの地で旅館を再開しようと思ったのは、誰かが戻ってきたときに「おかえり」と言ってあげられる場所を残したかったからです。今でも、近所に住んでいた人が訪れて、当時の思い出や近況を話してくれるのがうれしいです。
震災後の小高区の夜は真っ暗。とても寂しい光景を目の当たりにして、何か色がほしいと思い、駅前に花を植えはじめました。私が運営しているショップ「希来(きら)」でも、ちゃんとお金が回るようにと若い人たちがさまざまな提案をしてくれています。若い行動力や発想力は本当にすごいと思います。そういう意欲のある若い世代の人たちを支えられる町にしていきたいです。
震災前と同じ姿に戻ることはできません。だったら、新しい未来に向かって楽しく進んでいきたいです。その新しいものを目当てに小高区に行ってみようと思ってもらえたらうれしいです。現在はショップ「希来」を改装して、新しい取り組みを計画中。実際にスタートするまでは時間が必要ですが、思いついたら即実行!小高区を楽しい町にするために、旅館再開から10年は頑張ります。