大熊町からの避難者を受け入れ
震災時、檜枝岐村は震度3の揺れでした。当初はまったく被害もなく、ガソリンや灯油などの燃料も村民の分は確保できていました。その後、県から避難者を受け入れてほしいという要請があり準備を開始。大熊町とは学校同士の交流があったことから、バス2台分の避難者を受け入れて、新学期が始まるまで村内の旅館や民宿に滞在してもらいました。
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[南会津:檜枝岐村]
元檜枝岐村 村長/檜枝岐歌舞伎後援会 会長
震災時は村長として村の観光産業回復に尽力。令和元年、12年の任期を全うして退任。
美しい自然と
特徴ある歴史文化の継承
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災時、檜枝岐村は震度3の揺れでした。当初はまったく被害もなく、ガソリンや灯油などの燃料も村民の分は確保できていました。その後、県から避難者を受け入れてほしいという要請があり準備を開始。大熊町とは学校同士の交流があったことから、バス2台分の避難者を受け入れて、新学期が始まるまで村内の旅館や民宿に滞在してもらいました。
檜枝岐歌舞伎は江戸時代から続いています。もともと会津地方で盛んで、各地で時代の変遷に従って姿を変えてきていたのに比べて、檜枝岐では古典そのままをしっかりと伝えています。震災後、県内各地域を応援したいという村民の強い思いから、福島市、川内村、広野町などでも公演を行いました。檜枝岐歌舞伎を紹介したドキュメンタリー映画の上映と共に、村の文化を伝えるよい機会にもなったと思います。
当初は被害が少なかったものの、観光業が主産業である村にとって、風評の影響が大きくあらわれてきました。県からの要請によって山菜や川魚の提供ができなくなる中、村の名産であるそば料理を広めようと、観光協会とタイアップして「山人(やもーど)まつり」を開催しました。また昔から大部屋で相部屋主体だった村営の尾瀬沼ヒュッテ内の一部に、カプセルホテルのようなものを実験的につくり、観光回復の努力を重ねてきました。
檜枝岐村は人口約600人の小さな村ですが、なんとか残していきたいという強い思いがあります。尾瀬という美しい自然観光地もあります。檜枝岐歌舞伎という独特の伝統文化を組み合わせて「ゆっくりと訪れたい」と、皆さんから思っていただけるような村づくりを、一村民として目指していきます。