混乱のなかで過ごした長い1日
震災翌日、相双地区の避難指示を聞いて早急に避難所の受け入れ準備を開始しました。公民館や体育館に毛布を運び、炊き出しの準備に追われている最中、都路地区にも避難指示が出されて、私たちも避難することになりました。目まぐるしく状況が変化しながら、緊張状態の続く長い1日でした。
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[県中:田村市]
元都路第9区行政区長
原発から20km圏内の行政区長として、いち早い除染完了のために働きかけ、帰還促進に尽力した。
帰還を誓い
住民主体のふるさと再生
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災翌日、相双地区の避難指示を聞いて早急に避難所の受け入れ準備を開始しました。公民館や体育館に毛布を運び、炊き出しの準備に追われている最中、都路地区にも避難指示が出されて、私たちも避難することになりました。目まぐるしく状況が変化しながら、緊張状態の続く長い1日でした。
平成23年6月からは船引地区に仮設住宅が設置されました。「早く都路に帰りたい」と話す住民たちに、区長として何かできないか考えていた時、国の除染計画を耳にして、除染に関わる申請のとりまとめに取り掛かりました。また、住民の有志とともに、田畑の草刈りを行って除染をサポート。平成24年7月に開始した除染は、1年という早さで完了し、住民が自宅へ戻る道筋をつくることができました。
当時、私は原発の関連企業で働き、人が住まなくなった都路地区を通って職場に向かっていました。ひとけのない我が家を見るたびに胸が張り裂けそうでした。必ず都路地区に帰ってまたここで暮らす。そう思っているのは私だけではなかった。地域住民の願いをいち早く叶えるために、除染の早期完了に向けて活動していました。
都路地区の避難指示解除準備区域が解除された平成26年、3年ぶりに故郷での生活を再開しました。休耕田を活用した米作りをはじめ、帰ってきた人がスムーズに営農再開できるように、田畑を整えていました。地域内では農業法人も立ち上がり、徐々に活気が戻ってきているように感じます。震災前のようにここで仲間たちと生きることがなによりの幸せです。