震災発生時に頭をよぎる大切な人の顔
2011年、私は千葉県のクラブチームに所属していました。東北が震源地と聞いて最初に思ったのが、以前の職場である東京電力福島第一原子力発電所にいるお世話になった方々の安否でした。なかなか連絡がとれない不安な状態が続く中、物資の支援などできることを模索する日々が続き、もどかしい思いをしたのを覚えています。
すでにワールドカップドイツ大会が約3ヶ月後に迫っていましたが、当時私が暮らしていた千葉県でも地面の液状化現象などで、満足な練習ができない状態が続いていました。でも、ワールドカップに出場して、東北の皆さんや福島の皆さんに元気を出してほしいという気持ちで、毎日トレーニングに打ち込み、代表に選ばれました。
葛藤の中サッカーを見つめ直す
ワールドカップに出場するなでしこのメンバーには、東北にゆかりのある人や出身者がたくさんいます。東北が大きな悲しみに包まれている中、自分たちに何ができるのか。今まで通りサッカーをしていてもいいのか。無力さや葛藤にもがきながらも、初めてサッカーを見つめ直すきっかけになりました。
そんな中、佐々木則夫(ささき のりお)監督が「自分たちが頑張る姿がきっと誰かの心に届くから」と言って喝を入れてくれたんです。試合の前は泣きながら震災の映像を見て、「苦しんでいる東北の皆さんのために結果を残して元気を届けるんだ」という気持ちを奮い立たせていました。
私は、双葉町や大熊町に5年間暮らしていました。今でもお世話になった人の顔が浮かぶくらい、地域の皆さんに育てていただきました。そんな大切な皆さんが、少しでも明るくなれるよう、そればかりを考えていた大会でした。
思いをのせた光のゴール ワールドカップドイツ大会優勝
決死の思いで挑んだワールドカップドイツ大会では優勝を収めることができました。
ゴールを決める瞬間、ボールからゴールに向けて一筋の光が走りました。ずっと福島の皆さんのことを考えていたから、その思いがボールに宿ったのかもしれません。非常時って、自分のためには頑張れないけど、大切な人のためには頑張れるんですね。
試合終了後、たくさんのお祝いメッセージを見て胸がいっぱいになりました。皆さんを励まそうと出場した大会でしたが、結果的に自分たちが励まされていました。苦しい中でも頑張れたのは、そうした皆さんが背中を押してくれていたからだと気付きました。
私たちが優勝したことよりも、日本中がサッカーの力でひとつになったことが本当にうれしかったです。
自らふくしまとのつながりをつくっていく
2019年のJヴィレッジ再開は励みになりました。数年前に訪れた時は、ピッチに鉄板が敷かれていて、私が過ごしたJヴィレッジではなく、胸が張り裂けそうになりました。
福島には、ほかにもそういうところがたくさんできてしまいました。再生や再開のためには、まず自分がたくさん福島に通うことだと思いました。サッカー教室や復興イベントで、まずは現地に足を運ぶこと。そして県産の食材を食べて魅力を伝えること。これはどちらも私の好きなことです。楽しんでいる私の姿を見てもらうことで、よりたくさんの方が福島とつながるきっかけをつくれると思っています。
福島の宝は「人」!
マリーゼ時代、たくさんの地域の方に支えていただきました。あの時期に教わったことは、人への敬意や感謝、思いやりの大切さです。当たり前のことですが、震災を経験して、この当たり前がどれだけ恵まれて幸せなものだったかを実感しました。
そしてなにより福島の最大の魅力は「人」。人がいいからおいしい野菜やハイレベルな日本酒ができる。そして人をおもてなしして地域に受け入れる心がある。たくさんの方にそういう「福島人」の輝きや温かさに触れてほしいです。
良い意味で福島の人ってとてもシャイですよね。その分、私が大きな声で地域の魅力を叫びます。福島にはそれくらいすてきなものや場所がたくさんあるから、自信を持ってほしいです!
私が今こうして芸能活動を続けていられるのは、福島でサッカーをやっていたからです。これからもその感謝を忘れず、福島とつながっていきます。