日本代表そして福島代表として 世界の大舞台へ
福島の人はスポーツが好きな方が多いですね。中学生の時に陸上を始めてから、いつも地域一丸となって応援していただいたように感じています。2005年に初めて世界陸上に出場した時は、新幹線のホームに大きな横断幕を掲げていただき、皆さんに送り出していただいた記憶があります。皆さんからの応援が大きな励みになりました。
北京オリンピックの出場が決まった時も、町を歩けば地域の人に声を掛けていただきました。選手としてだけでなく、地域の方々の思いと一緒に出場する特別な大会であると意識が高まりました。
震災後に出産 ママさんランナー人生のはじまり
震災当時は第一子を妊娠中でトレーニングも休んでいました。もともと競技に復帰するつもりでいましたが、震災の影響で悲しみに包まれる地域や思うように活動できない仲間たちの姿を見て、より復帰への思いが強くなったような気がします。翌年にロンドンオリンピックが開催されることもあり、ここでまた結果を残して日本に活気を取り戻したいと思いましたし、福島県からまたオリンピックに出場したいという一心でした。
陸上競技人生で子どもの存在は大きなものになりました。やっぱり子どもにいいところを見せたい!その思いを感じたのか、子どもも物心がついてくると、少しずつ競技にも興味を持ってくれるようになり、時には子どもから辛口のアドバイスも。そんなママさんランナー人生を送りました。
体育の授業に「千葉先生」として 子どもたちのスポーツ振興に貢献
現在、平日は町内全ての小学校の体育の授業に参加し、子どもたちに体育を教えています。2016年の引退の際「子どもたちのオリンピック出場をサポートしたい」という思いがありました。矢吹町役場に勤めながら、このような取り組みに参画できることはとても光栄です。
陸上教室と違って体育の授業では、運動が得意な子もいれば不得意な子もいます。運動が苦手な子が上達するためにどうしたらよいか考えるのは難しいことですが、やりがいにもつながる新鮮な経験です。試行錯誤して伝えたことを、子どもたちが実践して体得できた時の喜びはひとしお。できないことができるようになった達成感を共有できる場に立てて幸せです。
引退前後で価値観に変化 スポーツが担う役割
現役時代は応援を受ける側で、その気持ちをエネルギーに走り続けていました。本当に前だけを見て、結果を求めてストイックに走り続けていました。
しかし引退後、スポーツを見ていると胸が熱くなって感動するんですよね。選手が頑張っている姿を見て、私も自分の場所で頑張ろうと思える。そして勇気をもらえる。ほとんどの人には当たり前の感覚かもしれませんが、私には新鮮な感覚でした。引退後改めて、人々に活力を与えるスポーツの力を実感しました。
震災後、県民の皆さんの応援の力が大きくなったことを肌で感じていました。それほど地域が団結して、一つの光を求めて期待してくださっていたのだと思うと、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
あの興奮と感動を日本で 東京2020に期待
また福島県からオリンピアンが生まれればうれしいですね。年に数回、陸上教室や講演を行って、技術面・メンタル面の指導をしています。オリンピアンは地域の光として、たくさんの人に勇気を与えられる存在。日本スポーツ界のためにも地域の活性のためにも、次世代のスポーツマン育成をサポートしたいです。
オリンピックは特別な大会です。スタートラインに立った時、歓声で地響きが起こるほど。レベルも高く独特の緊張感があります。
これは選手だけでなく観客の皆さんにとっても刺激になることだと思います。それが日本で開催されることは、オリンピアンを目指す子どもたちや、応援する地域の人の大きな励みになる。東京2020や聖火リレーであの興奮と感動を現地で味わって、オリンピックに興味を持ってくださる人が増えることを期待しています。
生まれ育ったふくしまで 次世代に夢を託す
福島県は自然が豊かで四季折々の魅力があります。こんな環境でトレーニングできるのは恵まれていると思います。また、たくさんの応援とサポートの中で育てていただきました。自分が支えていただいた分を今度は未来の子どもたちに託していく番だと思っています。