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渡辺 利綱 渡辺 利綱

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渡辺 利綱さん

[相双:大熊町]

大熊町 前町長

震災時の大熊町町長として陣頭指揮をとり、長引く全町避難生活の中でも、町の存続のために尽力。大川原地区に役場機能を移したのを見守り、令和元年に退任した。

ゴールのない長距離走の末

「感謝」を胸にあゆむ

INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから

国からの避難指示を受けて

 3月11日は町内の中学校の卒業式でした。式が終わって役場に戻る時に大きな揺れが起き、すぐさま災害対策本部を立ち上げました。まずは津波の避難を呼びかけて、体育館や学校を避難所として開設。そして翌日、町の婦人会の皆さんに炊き出しや避難所運営のサポートをお願いしようと準備しているときに、国から避難指示が出されました。突然の避難指示に戸惑いながらも住民の安全を第一として、避難誘導を職員に任せて、私は県や東京電力からの情報収集に努めていました。

子どもたちの未来のために

 そこからは刻々と状況が変化し続ける目まぐるしい日々でした。大熊町は田村市や三春町に避難所が置かれ、県内各地に移転しました。会津若松市に避難した小学生は旧河東第三小学校を仮校舎として再開。環境の変化になじめるか不安でしたが、地元の方々が花壇の整備や応援をしてくださって、子どもたちを支えてくれました。たくましく育つ子どもたちの姿を見て、われわれがしっかり故郷を残していかなければいけないと活力をいただいたような気がします。

中間貯蔵施設受け入れの決断

 中間貯蔵施設の受け入れは「断腸の思い」、その一言に尽きます。どこか別なところが受け入れてくださるのであれば、私も最後まで反対しました。ただ、そうではなかった。当然ながら、反対の声は大きいものでした。答えが出ない状況は、まるでゴールのない長距離走を走っているようでしたが、大熊町や福島県が復興するためには、ここで受け入れるしかありませんでした。復興は時間との勝負です。ここで復興のあゆみを止めるわけにはいかない。私たちひとりひとりが当事者として、本気で語り合い、本気で考え合いました。そして最後は、この決断が次のステップの一歩になると信じて受け入れました。

「感謝」を胸に町を見守る

 町民の皆さんをはじめ、職員たちには本当に支えていただきました。どんなに厳しい判断や決断をしても、皆さんついてきてくれた。皆さんの支援や応援、努力と忍耐がなければ、大熊町はここまで来ることはできませんでした。だから、震災後のまちづくりのキーワードは「感謝」です。その気持ちを忘れぬよう、大川原地区の新庁舎の敷地内には「感謝」の二文字を彫った石碑を建てました。
 平成31年の大川原地区の避難指示解除は私の中でひとつの節目となり、8年8ヶ月の町長の役割を終えました。これからは若い皆さんが町をつくっていく。今はいち町民として、この町の未来を見守りたいと思っています。

退任式を終えた渡辺前町長(2019年11月19日)ⓒ共同通信社