原発事故の影響
震災前は130頭の乳牛を飼育していましたが、避難指示により牛の世話ができなくなってしまいました。避難に伴って10頭が死亡、95頭は食肉処理を避けられませんでした。残りの25頭は北海道の育成牧場に預け、その後休業に入りました。
村の避難指示が一部解除されたのは、平成28年6月。生乳の出荷制限が解除された12月のタイミングで酪農再開へ向けた準備をはじめました。
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[相双:葛尾村]
株式会社佐久間牧場 専務取締役
震災前、県内有数の牛乳出荷量を誇っていた酪農農家。村の避難指示解除後にいち早く帰村して酪農を再開した。
いち早く酪農再開
自ら実践して道をつくる
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災前は130頭の乳牛を飼育していましたが、避難指示により牛の世話ができなくなってしまいました。避難に伴って10頭が死亡、95頭は食肉処理を避けられませんでした。残りの25頭は北海道の育成牧場に預け、その後休業に入りました。
村の避難指示が一部解除されたのは、平成28年6月。生乳の出荷制限が解除された12月のタイミングで酪農再開へ向けた準備をはじめました。
酪農再開に向けて、まずは家や牛舎の再築からはじめました。自前の重機を活用して、周辺の土地をならして牛舎を増築。ほとんど自分の手で直しました。
そうして平成30年に北海道から牛を購入して酪農再開することができました。8年ぶりに生乳を出荷したとき、やっと安心したと同時にここがスタートだと身が引き締まる思いでした。
今は安定した生産のために設備を整えています。最新のロボット設備を導入し、生乳の成分や牛の健康状態をチェックして自動でデータ化。効率よく安定した搾乳環境をキープして、安全な牛乳の提供のために尽くしています。
再開当初8頭だった乳牛は、3年近くで162頭まで増加しました。オートメーション化で少人数でも運営が可能で、現在は7人で牛の世話をしています。
なぜ私がここまでがむしゃらに進んできたかというと、帰村率も低く、人口減少が危惧される葛尾村でも、安定した産業が成り立つということを実証したかったから。地場に根を張っている者として、雇用の受け皿をつくることも役割のひとつです。葛尾村で生きる姿を、まずは私が実践して道をつくる。そうして集まってきてくれた人たちが切磋琢磨して、村に活気が出てくることを期待しています。