前代未聞の医療現場
震災当時、私は町民と一緒に着の身着のままで福島最大規模の避難所となったビッグパレットふくしまに避難しました。そこでボランティア医療班を立ち上げ、診療班、救護班、診察班、それから最大2,700人にも及んだ避難者を毎日一人一人診て回るラウンド班として診療に当たりました。
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[相双:富岡町]
医療法人 富岡中央医院 院長
震災当時、避難先の「ビッグパレットふくしま」にてボランティア医療班を立ち上げ、陣頭指揮をとる。一般社団法人双葉郡医師会顧問も兼任。
あの教訓を胸に
町民に寄り添った医療を
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災当時、私は町民と一緒に着の身着のままで福島最大規模の避難所となったビッグパレットふくしまに避難しました。そこでボランティア医療班を立ち上げ、診療班、救護班、診察班、それから最大2,700人にも及んだ避難者を毎日一人一人診て回るラウンド班として診療に当たりました。
避難所は雑魚寝、過密状態で、とても不衛生な状況だったため、感染症に気をつけなければなりませんでした。時期的にインフルエンザ1名、ノロウイルス2名、結核1名の患者も出ましたが、迅速な処置と隔離観察で大事に至らず、ビッグパレットふくしまでは一人の死者も出ませんでした。これは、われわれの強い信念をくんで協力してくださった医師、看護師、薬剤師をはじめ、協力いただいた皆さんのおかげだと本当に感謝しています。
平成27年の避難指示解除直後から富岡町に帰還し、富岡中央医院を再開しました。元々の建物は破損がひどかったため解体し、今の場所に医院を移しました。現在富岡町では、一次医療としてこの医院と富岡診療所の2施設、二次医療としてふたば医療センターが稼働しています。ふたば医療センターでは救急診療も受けているので、富岡町の医療は今のところ非常にうまくいっていると思います。
富岡町に戻ってきた人は、大半が高齢者です。この町で最期を迎えると決めている人たちです。私は、そんな町民に寄り添った医療をこれからも続けていきます。富岡町の医療の問題点を挙げるとすれば、後継者がいないということ。これから町内に介護施設もできる予定です。今後は町と県のバックアップをいただきながら、医師や看護師、医療に携わるスタッフの育成が必要になってくると思います。