追われた安否確認
震災当時は富岡第二小学校の教頭でした。地震発生直後は停電のため校内放送が使えず、子どもたちは各担任の先生の判断で避難しました。全員がけがをすることなく避難できたのは、先生方のおかげです。避難指示が出てから、子どもたちの安否確認を行い、全ての安否確認を終えるまで3ヶ月かかりました。
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[相双:富岡町]
富岡町教育委員会 教育長
富岡第一小学校校長を経て、令和2年富岡町教育長に就任。学校教育・生涯学習を通して元気なまちづくりを目指す。
子どもや町民の声を聞く
教育の力で町を元気に
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災当時は富岡第二小学校の教頭でした。地震発生直後は停電のため校内放送が使えず、子どもたちは各担任の先生の判断で避難しました。全員がけがをすることなく避難できたのは、先生方のおかげです。避難指示が出てから、子どもたちの安否確認を行い、全ての安否確認を終えるまで3ヶ月かかりました。
震災後、三春の工場跡を仮設校舎としてお借りできることになり、9月から三春校をスタートさせました。震災前、町には小中学校合わせて約1,500人の児童・生徒がいましたが、三春校に戻ってきたのは100名未満。それでも、避難先になかなかなじめなかった子も、知った顔を見てお互いに安心したのでしょう。徐々に笑顔が戻ってきました。
今、富岡町では小中学校がひとつの校舎で学んでいます。震災から10年がたち、当時の記憶がないという子どもが大半です。震災を伝えていくのはわれわれ大人。まずは先生方の教育からはじめました。震災関係の授業は率先して私が行い、富岡町のことや、震災のことを理解してもらいました。「後は頼む!」とバトンを渡し、私は定年を迎えました。
2020年から富岡町の教育長を拝命し、教育とは学校教育だけではないのだということを知りました。生涯学習、つまり社会教育も大切だということです。だから大人も生きがいを感じる町にしていかなければなりません。町内ウォーキングや料理教室、コンサートなど、あらゆる年代の方々が富岡町に住んで良かったと思えるようなイベントを行っています。まちづくりは人づくり。教育の力で町を元気にするのが、今の私の目標です。