急ピッチで受け入れ態勢を確立
震災当日、柳津町役場は緊張感に包まれていました。町内に大きな被害がないことに安堵したものの、浜通りの被害は甚大でした。「被災者を受け入れる準備を整える」との当時の町長の指示の下、避難者受け入れの責任者として、施設の確認や婦人会メンバーの手配などに当たりました。
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[会津:柳津町]
柳津町副町長
震災時、葛尾村民の避難を受け入れた柳津町で町民課長として約5ヶ月間、村民と寝食を共にした。その後も「仲間」として交流を続けている。
震災でつながった絆
今後も深め合いたい
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災当日、柳津町役場は緊張感に包まれていました。町内に大きな被害がないことに安堵したものの、浜通りの被害は甚大でした。「被災者を受け入れる準備を整える」との当時の町長の指示の下、避難者受け入れの責任者として、施設の確認や婦人会メンバーの手配などに当たりました。
葛尾村からは約220人の避難者を受け入れました。私たちは朝5時に起床し、新聞を皆さんに届けることからスタート。朝、昼、晩と食事をつくり、時には一緒に柳津温泉にも入り、泊まったこともありました。村民の皆さんの故郷を思う気持ちには本当に心が痛みました。
そんな生活の中で確実に絆が芽生え、その後も村民の皆さんと交流を継続。力を合わせて避難生活の運営に務めました。
平成23年7月に発生した、新潟・福島豪雨は、葛尾村民の皆さんを別の場所に避難させなければならないほどの状況でした。「避難者をまた避難させるのか」という状況に悔しさを覚えました。その年の8月は、町恒例の「流灯花火大会」の開催が危ぶまれましたが、懸命な復旧作業でイベントの開催を迎え、葛尾村の皆さんに、美しい花火を楽しんでいただけました。
今でも葛尾村の皆さんが訪ねてくることがあります。思い出話に花が咲き、大変な時期を過ごした仲間と過ごす、うれしいひとときです。
現在私は副町長として町の活性化対策の事業に取り組んでいますが、全国の自治体は少子高齢化対策など共通の課題を抱えています。震災という縁で結ばれた絆を深め、葛尾村と協力しながら共通の課題解決に取り組むことができればと考えています。