議会開催中に大きな揺れ
地震が発生した時、喜多方市議会に出席していました。新潟県中越地震よりも大きい揺れだと感じた私は「すぐに外に出ろ」と大声で叫んでいました。震源地から遠い喜多方市ですら恐怖を感じたのです。浜通りの被害はどれほどかという思いが脳裏をよぎりました。当日は県と連絡を取り、速やかに被災者の受け入れ体制を整備するよう職員に指示したことを覚えています。
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[会津:喜多方市]
前喜多方市長
震災後、喜多方市の農業と観光を支えるためトップセールスを積極的に行い、風評払拭に取り組んだ。
トップセールスを実践し
風評を食い止める
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
地震が発生した時、喜多方市議会に出席していました。新潟県中越地震よりも大きい揺れだと感じた私は「すぐに外に出ろ」と大声で叫んでいました。震源地から遠い喜多方市ですら恐怖を感じたのです。浜通りの被害はどれほどかという思いが脳裏をよぎりました。当日は県と連絡を取り、速やかに被災者の受け入れ体制を整備するよう職員に指示したことを覚えています。
震災時、行政のトップとして冷静沈着に、事象を俯瞰する感覚でいなければ、と考えていました。やるべきことの優先順位を付け、迅速に実施していきました。放射線の影響を調査する市独自の米の検査や事業継続が困難になった企業の誘致、支援にいち早く取りかかったことは、その後の回復に貢献できたのではないかと思っています。
農業と観光が産業の二本柱である喜多方市にとって、風評は大きな壁となりました。私は全国を巡り安全・安心をアピールしました。市場関係者への直談判では、厳しい言葉をかけられることもありましたが、その悔しさを忘れることができませんでした。何度も訪れ、科学的根拠を基に安全性を訴え続けました。随行した職員は大変だったと思いますが、熱意は結実したと思います。
現在、喜多方市は復興の道を確実に歩んでいます。そんな状況を象徴しているのが四季折々の美しい花々だと言えるでしょう。「花でもてなす喜多方」を掲げ、市内にある日中線しだれ桜並木道、三ノ倉高原ひまわり畑、ひめさゆり群生地などは、多くの観光客でにぎわっています。花々の成長を祈りながらこれからの市政発展を願っています。