地震直後、土砂崩れの第一報
震災当日、大きな揺れが収まり状況把握のために市役所に向かっている時のこと、消防団員から、葉ノ木平で土砂崩れが起きたという連絡が届きました。そこは小高いなだらかな丘に囲まれた地域です。状況の理解が追いつかず、そのまま現地へ向かうと、想像を絶する光景が広がっていた。山がえぐれ、一帯が土砂に覆われていました。
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[県南:白河市]
白河市消防団 元団長
震災当時、白河市消防団の団長として、葉ノ木平地区で発生した大規模な土砂崩れの救助活動の陣頭指揮を執った。
東日本大震災最大の土砂被害
悲しい記憶を防災に生かす
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災当日、大きな揺れが収まり状況把握のために市役所に向かっている時のこと、消防団員から、葉ノ木平で土砂崩れが起きたという連絡が届きました。そこは小高いなだらかな丘に囲まれた地域です。状況の理解が追いつかず、そのまま現地へ向かうと、想像を絶する光景が広がっていた。山がえぐれ、一帯が土砂に覆われていました。
行方不明者は13名。すぐさま消防、警察、自衛隊、建設会社の関係者とともに24時間体制の救助活動を開始しました。頻繁に発生する余震の度に作業は中断。細かい作業は人力で行いました。そして地震発生の2日後に1人目の被害者を発見。全員発見できたのは12日後でした。
見つかった方々を私たちは遺体とは呼びません。顔をきれいに拭いて、希望を捨てず救急隊員に託しました。被害者全員を家族に会わせることが私たちの使命でした。
市内は他にも、道路の陥没や家屋の倒壊による死傷者が出ていました。混乱が続く中、地域の状況把握、迅速な連絡対応ができたのは、地域に根ざす消防団がいたからです。常に危機意識を高めて、訓練や警戒にあたっていた各団員の連携が発揮できたと思います。あの過酷な現場を乗り越え、使命を全うしてくれた団員に感謝しています。
当時を思い出すのはとてもつらい。でも絶対に忘れてはいけない。だから防災として語り継ぐためにも、平成28年に被災現場を「葉ノ木平震災復興記念公園」として整備しました。
震災だけでなくさまざまな自然災害に見舞われる昨今。日頃の備えを万全にするよう呼びかけることが、地域に根ざした消防団にできることです。