料理人としてできること
震災翌日から、市内の避難所に移りましたが、落ち着かないんですよね。職業病です。自分ができることは料理をつくること。早速、自衛隊の皆さんと一緒に炊き出しをしました。数百人分の米や汁物を作っている時は、震災のことを忘れられるんです。食事を受け取って涙する人もいました。料理人としてずっと続けてきたことなのに、自分の料理が人助けになっていると思うと、毎日もらい泣きしてしまいました。
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[県中:田村市]
みや古旅館 3代目
田村市都路地区の旅館・割烹「みや古」を経営。避難所での炊出しに協力し、帰還後も地域のためにいち早く店を再開した。
「おかえり」と
いちばん最初に言えるように
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災翌日から、市内の避難所に移りましたが、落ち着かないんですよね。職業病です。自分ができることは料理をつくること。早速、自衛隊の皆さんと一緒に炊き出しをしました。数百人分の米や汁物を作っている時は、震災のことを忘れられるんです。食事を受け取って涙する人もいました。料理人としてずっと続けてきたことなのに、自分の料理が人助けになっていると思うと、毎日もらい泣きしてしまいました。
避難指示が解除された平成26年、宿を再開しました。町の人の声はないのに、宿の前は除染作業員の皆さんのトラックの横行でにぎやかだった。そうであれば、その作業員の皆さんに話しかけようと思い、横断幕に応援メッセージを書いて、宿の壁に貼り出しました。建前は「応援」でしたが、今思うと自分の決意表明みたいなものだったかもしれない。誰かに「頑張ろう」というと、自分が頑張れるんです。
一番最初に都路に戻ったのは、帰ってくる人にとって「おかえり」と言える存在でありたかったから。小さい町で3代続く小さい旅館ですが、人が集まる場所として、いつも灯りを灯していくことが使命です。この町でまたみんなが集まってどんちゃん騒ぎができる日を楽しみにしています。