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  1. 知事メッセージ
  2. 復興・再生の記録
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廣野 太・廣野 太 廣野 太・廣野 太

013

大内 秀一さん(右)


廣野 さん(左)

[県北:川俣町]

川俣町 元山木屋自治会長

川俣町で唯一避難指示が出されていた山木屋地区で区長を務め、避難生活と地域の再生を支えた。

若い世代が戻れる地域へ

なりわいづくりを

INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから

脳裏をよぎった「避難」

 震災直後は地域の見回りや声掛け活動をしました。瓦屋根が落ちていたり、橋の継ぎ目がずれていたり、見たことのない光景が広がっていました。自家発電機でつけたテレビを見て原発事故のことを知り、とんでもないことが起きていると感じました。すぐに「避難」という言葉が頭に浮かび、準備をはじめました。

これから復興がはじまる

 平成29年3月に避難指示が解除された山木屋地区。はじめは2〜3年ほどだと思っていた避難生活は6年にもおよびました。畑や田んぼ、人が住まなくなった家は荒れてしまいましたが、それぞれ地域を思う気持ちを糧に動き出しました。
 山木屋の冬の風物詩ともいえる田んぼに氷を張ったスケートリンクを平成28年に復活させたのもそのひとつです。リンクにはフィギュアスケート選手の浅田真央さんも応援に来てくれました。

美しい山木屋に若い力を

 山木屋地区は夏でもクーラーが必要ないほど過ごしやすく、空気が澄んで星空も美しい。寒暖差が大きく農業に適した土地で、トルコギキョウやアンスリウムなど美しい色彩の花が育ちます。これらを生かしたなりわい創出を活性化し、若い人が戻って来られるような地域づくりに取り組んでいます。

新しい交流拠点がスタート

 国や町への要望書提出などに奔走して、復興拠点商業施設「とんやの郷」をオープンしました。農地は原野のようになってしまったけれど、またこれから再生していけばいい。ここが拠点となって、にぎわいや人の輪が広がれば本望です。ここで負けてはいられない。はいあがっていく力が福島県人にはある。震災を経験したからこそ、ここからまた歩き出します。