脳裏をよぎった「避難」
震災直後は地域の見回りや声掛け活動をしました。瓦屋根が落ちていたり、橋の継ぎ目がずれていたり、見たことのない光景が広がっていました。自家発電機でつけたテレビを見て原発事故のことを知り、とんでもないことが起きていると感じました。すぐに「避難」という言葉が頭に浮かび、準備をはじめました。
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[県北:川俣町]
川俣町 元山木屋自治会長
川俣町で唯一避難指示が出されていた山木屋地区で区長を務め、避難生活と地域の再生を支えた。
若い世代が戻れる地域へ
なりわいづくりを
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災直後は地域の見回りや声掛け活動をしました。瓦屋根が落ちていたり、橋の継ぎ目がずれていたり、見たことのない光景が広がっていました。自家発電機でつけたテレビを見て原発事故のことを知り、とんでもないことが起きていると感じました。すぐに「避難」という言葉が頭に浮かび、準備をはじめました。
平成29年3月に避難指示が解除された山木屋地区。はじめは2〜3年ほどだと思っていた避難生活は6年にもおよびました。畑や田んぼ、人が住まなくなった家は荒れてしまいましたが、それぞれ地域を思う気持ちを糧に動き出しました。
山木屋の冬の風物詩ともいえる田んぼに氷を張ったスケートリンクを平成28年に復活させたのもそのひとつです。リンクにはフィギュアスケート選手の浅田真央さんも応援に来てくれました。
山木屋地区は夏でもクーラーが必要ないほど過ごしやすく、空気が澄んで星空も美しい。寒暖差が大きく農業に適した土地で、トルコギキョウやアンスリウムなど美しい色彩の花が育ちます。これらを生かしたなりわい創出を活性化し、若い人が戻って来られるような地域づくりに取り組んでいます。
国や町への要望書提出などに奔走して、復興拠点商業施設「とんやの郷」をオープンしました。農地は原野のようになってしまったけれど、またこれから再生していけばいい。ここが拠点となって、にぎわいや人の輪が広がれば本望です。ここで負けてはいられない。はいあがっていく力が福島県人にはある。震災を経験したからこそ、ここからまた歩き出します。