震災の3日後に母子避難
震災が起きた当時「この子たちを、どうやって守っていけばいいのだろう?」と思いました。原発事故という未知の災害が起きて、ここに住み続けて大丈夫なのか分からない。一度離れて冷静になろうと決心して、山形県にアパートを借りて母子避難しました。上の子が3歳、下の子が1歳になったところでした。
008
[県北:伊達市]
Life for Mothers 代表
避難の後、平成25年に伊達市に帰還。育児の不安に寄り添い、育児支援と地域との絆を守るサポート団体を立ち上げ活動するかたわら、自らも3児の母親として奮闘中。
子育て女性が楽しく
暮らせる社会を目指したい
INTERVIEW 地域から見つめる、あの日から、これから
震災が起きた当時「この子たちを、どうやって守っていけばいいのだろう?」と思いました。原発事故という未知の災害が起きて、ここに住み続けて大丈夫なのか分からない。一度離れて冷静になろうと決心して、山形県にアパートを借りて母子避難しました。上の子が3歳、下の子が1歳になったところでした。
3人目の出産を機に伊達市に戻り、同じ時期に帰還したママたちと「伊達ママクローバー」というサークルをつくり、月に1回、子どものことや近況を語り合いました。戻ってきてから、避難した人としなかった人との差を感じていましたが、自力で庭の除染をすることにし、全ての作業を終えた時、ようやく自分が福島の普通のおかあさんになれたと感じました。
NPO法人りょうぜん里山がっこうのスタッフとして「伊達もんもの家」で帰還者の皆さんに寄り添う仕事をはじめました。ある時、伊達市の職員の方から話を聞く機会がありました。いろいろな立場の人たちと関わったり、放射能についての疑問を話し合ったりする中で、自分がこの伊達市でどう暮らし、どう子育てをしたいかを真剣に考えるようになっていました。
そして仲間と一緒に団体を立ち上げました。山形県で感じた子育て支援の手厚さや、地域の人との関わり方を伊達市でも実現させていきたいと考えています。放課後の子どもたちや、ママと子の居場所づくりを通して、地域の皆さんと結びつけられるようにしたい。そして、地域と温かな関わりを持てたらいいなと思っています。